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2015年11月28日 (土)

『骨から見た日本人 古病理学が語る歴史』

鈴木隆雄 著 

 

 1998年 講談社  2010年 講談社学術文庫  2014年電子書籍

 題名の副題を見落としていたため、もっとマクロ的な視点での話かと思って読み始めたのですが、本当に骨を観察して日本人がどのような病と向き合ってきたのかという本でした。

 心に残っている部分は、イラク北部のクルジスタン地方のシャニダールという洞窟遺跡から発掘された遺骨の話で、そのうちの一つの遺骨の周辺に限って、極端に密度の高い野生の花粉塊が発見された、という話です。ネアンデルタール人たちは、アザミ、タチアオイ、ノボロギク、ルピナス、ヤグルマソウなど、彼の地では5月下旬から6月上旬に美しい花を咲かせるというその花を、亡くなった人のために遺体の周囲に置いていたのです。6万年前の人もまた、私たちと同じ心を持っていたことがこの事実でわかりました。

 

 

 また、癩病についての章で、鎌倉時代の忍性という僧は、鎌倉極楽寺の悲田院で20年間に5万7250人の病人を受け入れ、そのうちの4万6800人が治癒し、1万450人が死亡した、ということが書かれていました。癩病といえば、たとえ発病したのが家族であっても病者を四天王寺の寺の床下に置いてきた、という話があるほど、忌み嫌われていた病気です。昔のことですから、数の中にハンセン病以外の皮膚病などが含まれている可能性もあるにせよ、忍性の努力、また、忍性を支えた周囲の人々の努力はすごいことだと感じました。

 骨にまで病の痕が残っている、ということでは梅毒もあります。江戸時代この病が老若男女を問わず人々を苦しめ、その頻度は推計54.5%であったという驚くべきことが書かれていました。

 

 

 さらに、結核については、この病が社会の緊張や闘争という時代に流行しやすく、低栄養の状態や移住などのストレスがかかる場合に悪化するという説明がありました。わが国の昭和25年の調査 では10歳で41.4、15歳で70.1%の子どもが結核に罹患していた、ともありました。もちろん、集団で狭い空間にいるような状態も流行の要因です。私はシリアからの難民たちの身の上が心配になりました。



 古病理学という学問の分野の本は初めて読みましたが、東洋医学の古典も読まれて、数々の歴史上の記録を調査なさり、実際の遺骨の調査と合わせてとても具体的な過去を描かれており、驚くような内容の本でした。

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