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2015年9月 2日 (水)

『伊藤圭介』

Itokeisuke

杉本勲(すぎもと いさお) 著

吉川弘文館 1988年

 

 このところ本草家についての本を読んでいます。江戸時代も後半になると西洋の学問が入ってきて、それまで中国の本草学一辺倒であった流れが変わり、近代日本の植物学や博物学につながる活動を始めた人たちがいます。この伊藤圭介もそのひとりで、名古屋の地にあって一介の町医から尾張藩の藩医へと登用され、またシーボルトから直接指導を受け、明治になってからは東京大学の教授となりました。

 

 父・玄道は医学においては浅井図南の孫弟子にあたり、医業に携わりながらも小野蘭山の高弟であった水谷豊文に本草学を学んでいたといい、また7つ違いの兄・存真は図南の孫にあたる浅井貞庵に医学を、本草学は父と同じ水谷豊文に学んだということです。つまり圭介は幼少の頃より医学、儒学を父兄に学んでおり、浅井家の折衷派の医学を身につけ本草学も当時の一級の学者に近い環境にいました。

 

 伊藤圭介という人は長寿で、戸籍上は享年99歳でありましたが、生前本人が語ったところによると実際は5歳ほども年上であり、百歳をこえる寿命であったということになります。親類縁者も80、90の長命が多く、生まれついての健康な身体をもっていたことに加え、早起き、粗食、また植物の研究に野山を歩いたことも良かったのではないかと著者は推察しています。そして、若い頃から午前3時には起きて読書をし、就寝前もまた本を読んだという読書好きの様子を伝えており、そうした飽くなき好奇心が長寿の秘訣かと思われました。

 

 幕末の混乱、シーボルト事件、コレラの流行など、伊藤圭介の生きた時代は決して楽な時代ではなかったにもかかわらず、この伝記を読むと健全で快活な人生を歩んだ人物として感じられます。この本の第1版が昭和35年に出されていることを考えると、日本が再び健全さを取り戻した時期でもあり、そうしたことも関わりがあるのかもしれません。

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