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2015年9月 1日 (火)

から船往来 日本を育てた ひと・ふね・まち・こころ

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東アジア地域間交流研究会 編 

中国書店 2009年

 

 国としての交流、商売の交流、宗教の交流、そして文化の交流とさまざまな面から、しかも古代から近代までという大変長い時間の中での東アジアの交流について、14編がまとめられている論文集です。 編集後記には、「から船」とは、唐の船であり、韓の船でもあり、また、日本から中国大陸を目指して行った船でもある、と書かれていますが、さらには、東南アジアを経由して長崎に入ったオランダ船もまた「から船」でありました。そうした非常に広い意味を持つ「から船」にまつわる話は東西の文化交流に興味を持つ私としては大変面白く読みました。

 

 医学の分野では、吉田洋一氏の『福岡藩の医学――亀井南冥を中心に』という論文が収載されており、オランダ医学の受容に積極的であった永富独嘯庵と共に旅した亀井南冥に焦点が当てられています。両名は、西国漫遊の旅を共にしており、亀井南冥は医術の弟子として1年ほど独嘯庵に仕えたそうです。

 

 また陳翀(ちん ちゅう)氏の『中国の観音霊場「普陀山」と日本僧慧萼』では、平安期に寧波にほど近い普陀山という島に寺の名を借りた「日本国院」を建てようとしたことが語られています。円仁の『入唐求法巡礼行記』には登州の赤山法華院の新羅人たちが力を貸してくれたことが書かれていますが、日本もまた、このようないわば領事館の役目を担う場所を江南の地に築こうとしていた、という事実に、驚かされました。

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