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2012年5月16日 (水)

『浅田宗伯』

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    油井富雄:著  医療タイムス社 2010

 今日ご紹介するのは江戸から明治にかけて活躍した漢方医、浅田宗伯の伝記です。本書の帯には昨日取り上げた『吉益東洞研究』の著者である寺澤捷年先生の推薦文が書かれています。

 浅田宗伯(18151894)は信州栗林村の医者の息子に生まれ、父と松本の医家熊谷珪碩に指導を受け、14歳より高遠藩の儒医中村中倧に師事。2年の修行の後には京都へ行き、古方派の塾で学びます。その後江戸で町医をするうちに評判が高まり、高遠藩の侍医となり、江戸医学館の『医心方』校刊の作業に参加。フランス公使レオン・ロッシュの治療、14代将軍家茂の治療、また明治になってからは後の大正天皇となる親王明宮(はるのみや)の命をも救ったという当代きっての医師であった人物です。

 しかしながら、時代は西洋医学と漢方医学の位置が逆転していくところにあり、明治16年の医師免許規則では新規に漢方医となる道が閉ざされます。宗伯も漢方界の中心人物としてその復活を画策して奔走しますが、復興運動も一枚岩ではなく、宗伯の死後、結局漢方専門の医師免許制度は議会で否決されてしまいました。

 本書には宗伯の生きた時代のさまざまなエピソードが綴られ、現代の私たちに「医療」を考えるヒントを与えてくれているように感じます。安全や安心、政治的判断、人としての道義など、今の私たちには医療分野だけでなく、原子力のことや食品、薬品のこと、あるいは建築をはじめとする社会的インフラのいろいろについても、同様のことを考えるべき時なのではないか、と考えました。

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