2016年7月12日 (火)

『医学の歴史』

 

梶田 昭:著 講談社学術文庫 2003年(電子版2015年)

 

 巻頭に酒井シヅ先生の「推薦のことば」がある。それによると本書は編集者の求めに応じた書き下ろしである。西洋医学を中心に東洋医学、イスラム医学にも触れながら、人類の医学発展の歩みを綴ることを編集者から求められたということである。この本はその要求を見事にかなえ、読み物としても大変面白いものとしている。著者の梶田昭氏は病理学の専門家であったが、女子医大を定年で退職後、いくつもの医学史の名著の翻訳をなさっていた。旧約聖書や古代インド医学なども含む、非常に広範な資料を読まれたに違いない著者の筆は、本当に自由自在に時代と地域を飛び越えて、様々なヒントを与えてくれる。


インドや中国の医学について述べた章に、碩学ラッセルの『西洋哲学史』の「私たちが世の中でくつろいで暮らそうとするなら、アジアを私たちの思考の中へ、政治的にだけではなく、文化的にも同等なものとして受け入れなければならない」というくだりを紹介し、また「病院をキリスト教の発明と見なすのは間違いだ」と述べ、スリランカには前5世紀から病院と保養所があったことを紹介している。近代西洋医学の歩みを追ってきた我々日本人は、ともすると医学史を考える時も西洋に過大なものをみてしまうが、梶田氏は膨大な文献を渉猟して、その誤解を正してくれているように感じた。本阿弥光悦とガリレオ・ガリレイが生没年をほぼ同じくすること、またその秀吉の時代についてのネルーの日本についての言及など、医学史に限らない世界史の大きな流れの中で、見落としてはいけないものをできる限り拾って一冊の本にしてくださっているように思われた。


 もちろん、解剖学、外科学、生理学、細胞学、栄養学、病理思想、感染症、免疫学、生化学、分子生物学といった近現代の流れについても書かれていて、電子版で読んだ筆者は多くの傍線を付しながら読ませていただいた。

2015年11月28日 (土)

『骨から見た日本人 古病理学が語る歴史』

鈴木隆雄 著 

 

 1998年 講談社  2010年 講談社学術文庫  2014年電子書籍

 題名の副題を見落としていたため、もっとマクロ的な視点での話かと思って読み始めたのですが、本当に骨を観察して日本人がどのような病と向き合ってきたのかという本でした。

 心に残っている部分は、イラク北部のクルジスタン地方のシャニダールという洞窟遺跡から発掘された遺骨の話で、そのうちの一つの遺骨の周辺に限って、極端に密度の高い野生の花粉塊が発見された、という話です。ネアンデルタール人たちは、アザミ、タチアオイ、ノボロギク、ルピナス、ヤグルマソウなど、彼の地では5月下旬から6月上旬に美しい花を咲かせるというその花を、亡くなった人のために遺体の周囲に置いていたのです。6万年前の人もまた、私たちと同じ心を持っていたことがこの事実でわかりました。

 

 

 また、癩病についての章で、鎌倉時代の忍性という僧は、鎌倉極楽寺の悲田院で20年間に5万7250人の病人を受け入れ、そのうちの4万6800人が治癒し、1万450人が死亡した、ということが書かれていました。癩病といえば、たとえ発病したのが家族であっても病者を四天王寺の寺の床下に置いてきた、という話があるほど、忌み嫌われていた病気です。昔のことですから、数の中にハンセン病以外の皮膚病などが含まれている可能性もあるにせよ、忍性の努力、また、忍性を支えた周囲の人々の努力はすごいことだと感じました。

 骨にまで病の痕が残っている、ということでは梅毒もあります。江戸時代この病が老若男女を問わず人々を苦しめ、その頻度は推計54.5%であったという驚くべきことが書かれていました。

 

 

 さらに、結核については、この病が社会の緊張や闘争という時代に流行しやすく、低栄養の状態や移住などのストレスがかかる場合に悪化するという説明がありました。わが国の昭和25年の調査 では10歳で41.4、15歳で70.1%の子どもが結核に罹患していた、ともありました。もちろん、集団で狭い空間にいるような状態も流行の要因です。私はシリアからの難民たちの身の上が心配になりました。



 古病理学という学問の分野の本は初めて読みましたが、東洋医学の古典も読まれて、数々の歴史上の記録を調査なさり、実際の遺骨の調査と合わせてとても具体的な過去を描かれており、驚くような内容の本でした。

2015年9月 2日 (水)

『伊藤圭介』

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杉本勲(すぎもと いさお) 著

吉川弘文館 1988年

 

 このところ本草家についての本を読んでいます。江戸時代も後半になると西洋の学問が入ってきて、それまで中国の本草学一辺倒であった流れが変わり、近代日本の植物学や博物学につながる活動を始めた人たちがいます。この伊藤圭介もそのひとりで、名古屋の地にあって一介の町医から尾張藩の藩医へと登用され、またシーボルトから直接指導を受け、明治になってからは東京大学の教授となりました。

 

 父・玄道は医学においては浅井図南の孫弟子にあたり、医業に携わりながらも小野蘭山の高弟であった水谷豊文に本草学を学んでいたといい、また7つ違いの兄・存真は図南の孫にあたる浅井貞庵に医学を、本草学は父と同じ水谷豊文に学んだということです。つまり圭介は幼少の頃より医学、儒学を父兄に学んでおり、浅井家の折衷派の医学を身につけ本草学も当時の一級の学者に近い環境にいました。

 

 伊藤圭介という人は長寿で、戸籍上は享年99歳でありましたが、生前本人が語ったところによると実際は5歳ほども年上であり、百歳をこえる寿命であったということになります。親類縁者も80、90の長命が多く、生まれついての健康な身体をもっていたことに加え、早起き、粗食、また植物の研究に野山を歩いたことも良かったのではないかと著者は推察しています。そして、若い頃から午前3時には起きて読書をし、就寝前もまた本を読んだという読書好きの様子を伝えており、そうした飽くなき好奇心が長寿の秘訣かと思われました。

 

 幕末の混乱、シーボルト事件、コレラの流行など、伊藤圭介の生きた時代は決して楽な時代ではなかったにもかかわらず、この伝記を読むと健全で快活な人生を歩んだ人物として感じられます。この本の第1版が昭和35年に出されていることを考えると、日本が再び健全さを取り戻した時期でもあり、そうしたことも関わりがあるのかもしれません。

2015年9月 1日 (火)

から船往来 日本を育てた ひと・ふね・まち・こころ

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東アジア地域間交流研究会 編 

中国書店 2009年

 

 国としての交流、商売の交流、宗教の交流、そして文化の交流とさまざまな面から、しかも古代から近代までという大変長い時間の中での東アジアの交流について、14編がまとめられている論文集です。 編集後記には、「から船」とは、唐の船であり、韓の船でもあり、また、日本から中国大陸を目指して行った船でもある、と書かれていますが、さらには、東南アジアを経由して長崎に入ったオランダ船もまた「から船」でありました。そうした非常に広い意味を持つ「から船」にまつわる話は東西の文化交流に興味を持つ私としては大変面白く読みました。

 

 医学の分野では、吉田洋一氏の『福岡藩の医学――亀井南冥を中心に』という論文が収載されており、オランダ医学の受容に積極的であった永富独嘯庵と共に旅した亀井南冥に焦点が当てられています。両名は、西国漫遊の旅を共にしており、亀井南冥は医術の弟子として1年ほど独嘯庵に仕えたそうです。

 

 また陳翀(ちん ちゅう)氏の『中国の観音霊場「普陀山」と日本僧慧萼』では、平安期に寧波にほど近い普陀山という島に寺の名を借りた「日本国院」を建てようとしたことが語られています。円仁の『入唐求法巡礼行記』には登州の赤山法華院の新羅人たちが力を貸してくれたことが書かれていますが、日本もまた、このようないわば領事館の役目を担う場所を江南の地に築こうとしていた、という事実に、驚かされました。

2014年1月21日 (火)

『知の座標 中国目録学』白帝社アジア史選書002 

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井波陵一 著   白帝社  2008年

 

 和漢藉の蔵書の多い研医会図書館に来て、自分が中国の目録学や書誌学をきちんと学んでいないということに気づきました。それでも、日々読む資料には「四部分類」の言葉や『四庫全書総目』などという言葉が頻繁に出てきて、なんとなく半分解ったような解らないような状態でおりました。この状態は大して今でも変わりませんが、それでもこの『知の座標』を読んでからは大きな認識として、目録学の難しさと重要性が解ったように思われます。

 

 第一章 図書分類法の時代区分」の中に「つまり『七略』、『隋書』経籍志、『四庫全書総目』のいずれもが、中国社会が古代から中世、中世から近世、近世から近代へと向かう重要な転換期に、まさしく足を踏み入れつつある時期に成立したことになります。」という言葉がありましたが、その時々の編纂者は自分たちの時代を絶頂期だと信じて、それまでの時代を総括し体系化したのだろう、と筆者は述べています。

 

 そして「おわりに」では、時代の「革命的要素」はその時々の分類体系から下方排除され、「雑」として蔑視される周縁的な分野に存在するという考えを述べられていますが、このくだり、わくわくするような気持ちで読みました。

 

 京都大学人文科学研究所付属漢字情報研究センターの漢籍担当職員講習会の講義録に基づく本です。漢籍を調べる方にお薦めです。

2012年9月 7日 (金)

『ユーラシアの東西』中東・アフガニスタン・中国・ロシアそして日本

24 杉山正明 著、日本経済新聞出版社2010

 久しぶりの更新になってしまいました。

 東洋医学の文献をみていると、自然と東西交流やら、各国・各時代の交流史に目が行くのですが、この本もそうした興味から手に取ったものです。著者の杉山正明氏は1952年生まれの方で、京都大学、同大学院文学研究科を卒業されたモンゴル史の研究者です。1995年には『クビライの挑戦』(朝日新聞社)でサントリー学芸賞、2003年にはモンゴル時代史研究の功績で司馬遼太郎賞、2007年には『モンゴル帝国と大元ウルス』(京都大学学術出版会)で日本学士院賞を受賞された、と巻末にありました。

 面白かったのは、「後醍醐天皇の謎」という章。モンゴル史研究者の目でみれば後醍醐帝が目指したのは元朝の制度であった、という部分。日本の文献にはそれは「宋」と書かれているけれども、実際には元が手本であったといいます。このことは、金元時代の医書を調べていてもみかける表現で、<野蛮>とされていたはずの元は、実は合理的でスタンダードを生み出す力があったとみられ始めているのです。

 また、第6章では足利の篤志家、山浦啓榮(ひろしげ)氏との不思議な交流について書かれていて、山浦氏が足利に華雨蔵珍之館という拓本の資料館を作られた経緯が判ります。足利学校のある彼の地でこうした日中交流の研究資料館が作られたことは、何か因縁めいたものを感じてしまいます。同館のホームページには、見学には何名かまとまって申し込んでください、とあるので、今度みんなで行く機会を作ってみようかしら、とも思いました。

 杉山正明氏が長年手がけられている『集史』が出版されるのも待ち遠しいことですね。伝統医学の世界もまさにこの本の扱うユーラシアにあり、時には大きな目で歴史を考えるのも面白いことでした。さらに、日本における世界史研究は「時代・場所を問わず、ひととおりどんな分野であれ、それを専業とするさまざまな研究者たちがほぼ隈なく、かつはまことに広汎に存在し」、「そのうえ、個々の研究もまた、ほとんどの場合、実に緻密で生真面目な、きちんとした分析・実証・論述がなされている」という特徴を持ち、さらに日本は政治的・宗教的にニュートラルな立場であり、冷静な世界史を作り上げていく素地がある、ということです。

 最後に第4章にある文章を紹介します。

「最近、わたくしどもは、日中韓をこえた「中世大交流」ということから日本文化の基層を考えようとしていくつかのこころみをしています。十三世紀、十四世紀、十五世紀においては、東アジアに文化的なボーダーはほとんどなかったのです。」これを読むと、医学書の世界でのことも確かにそのようだ、と納得してしまいました。

 

2012年7月24日 (火)

『サマルカンドの金の桃』唐代の異国文物の研究

23

エドワード・H・シェーファー 著

伊原 弘 日本語版監修  吉田真弓 日本語版訳  勉正出版アシアーナ叢書002  2007

 本のタイトルからして、とても魅力的なこの本は今は亡きシェーファー教授の著作を日本語訳したものです。シェーファー教授は1950年代から40年間おもに中国中世についての研究を続けた方で、京都大学人文科学研究所で研修員として滞日されたこともあったそうです。

 序文のなかで、伊原弘氏は、本書を手にしたときすぐ思い出したのは、プリニウスの『博物誌』である、と述べておられます。そして「正直なところ、本書を整理しつつ、その衒学趣味に辟易するとともに、ロマンチストを育てるかもしれないが、科学的探究者は育てえぬとの印象ももった。」と吐露しています。

 確かにそういう印象もありますが、それにしても読み物として面白く、隋唐時代の雑踏にまぎれこんで噂話をきいているような楽しさを感じます。私は読みながら面白く感じたところに付箋をつけていったところ、本は付箋だらけになりました。たとえば、第4章の野生動物で、獅子が取り上げられていますが、そこには獅子の糞は服用すればどろどろになった血液の通りをよくした、とあり、陳蔵器はこの獅子の糞と「蘇合香」というものは別のものである、と述べていることを紹介しています。

 あたりまえのものに飽きたような時、この本を開いて意外な発見をするのもよいかもしれません。本草学を学ぶには面白い資料だと思いました。

2012年7月 2日 (月)

『和漢薬方意辞典』

22

中村謙介 著  緑書房 2004

 巻末の著者プロフィールを見ると、中村謙介先生は昭和42年千葉大学医学部卒。漢方を藤平健先生、小倉重成先生に師事なさった方で、日本東洋医学会専門医・指導医です。

 辞典の名の通り、あいうえお順に方剤が並べられており、見開き2ページでひとつの方剤についての情報がまとめられています。収載されている古典、方意、自他覚症状の病態分類の表、脈候、舌候、腹候、病位・虚実、構成生薬、方解、方意の幅および応用、参考、症例という12の項目について整理されているので、読みやすい本です。

 面白いのが症例の項目で、藤平健先生の『漢方臨床ノート・治験篇』や、矢数道明先生の『漢方治療百話』、大塚敬節先生の『漢方診療三十年』ほか、『漢方の臨床』などから各先生方の症例を引用しています。なかには治療に苦慮する様子もあり、歴代の偉大な漢方医も日々戦ってこられたのだと感じます。

 巻末には68の病態に分類した索引がついています。これは、虚証、実証、寒証、熱証、燥証、湿証、気滞、気の上衝、血証、水証、亡津液、急迫・痙攣、疼痛、精神症状という14の症状に分けられて、目指す方剤を見つける仕組みになっています。

2012年6月26日 (火)

『実用 中医薬膳学』

21

辰巳洋 著  東洋学術出版社 2008

 一昨日の日曜日、この本の著者である辰巳洋(たつみなみ・劉海洋)先生の本草薬膳学院創立10周年記念行事に参加させていただきました。生徒2人から始まったこの学院はこれまでに延べ1500人もの卒業生を送り出し、日本に「薬膳」を広めているそうです。

 この本はその本草薬膳学院でも教科書として使われている本で、当図書館に資料を閲覧にいらした辰巳先生にサインをいただきました。「医・薬の源流」と書いてあります。食事という人間にとって日常のことが、実は最も大切な健康づくりの基本であることを端的に表わした言葉です。中国で中医としての臨床経験を持たれる先生は、来日して中医学を教える時に、食から近づいてもらうのがよい、と考えられたそうです。古代において、最も上位の医師は「食医」であったことを想うとまったく王道の考え方のように感じます。

 『実用 中医薬膳学』では、第1章の概論篇で基本の理論などを述べ、第2章の養生篇で季節に合わせた薬膳、五臓に働きかける薬膳、体質に合わせた薬膳、年齢に合わせた薬膳、老化防止の薬膳、美肌のための薬膳が紹介されます。第3章の弁証篇では中医学の考え方によって分類された証別の薬膳、第4章では応用篇として23の病名・症状別の薬膳が扱われていて、それぞれに合った料理や飲み物のレシピが載せられています。中医学の考え方の解説が中心で、写真はなく、文字を追って本格的な勉強をするための本となっています。

 付録に、「食材と中薬の効能一覧」「症状から選ぶ食材と中薬」「病名別にみる食養生」があります。

 

2012年6月13日 (水)

『漢方毒出しスープ』

20

新開ミヤ子 レシピ制作   監修 薬日本堂  河出書房新社 2011年

 昨日に続いて薬屋さんが監修している本のご紹介です。

 漢方で「毒」というと、それが外からやってきたウイルスや黴菌のようなものであれ、自分の生活習慣から作られるような自らが内部に作り出すものであれ、良好な気血水のめぐりを阻害するものならすべて「毒」「邪」と呼んで、それを解消させるように働きかけます。

 第3章までは普通の食材を使って、生活習慣から作り出されるような「毒」を解消するためのスープを紹介しています。一人暮らしの人でも簡単に作れるようなレシピが多く、漢方独特の素材が使われるのは漢方茶とつくりおき調味料のページくらいです。

 最後の第4章には体質を5つに分類するチェックシートがあるので、自分がどのタイプかを見分けられ、それに合ったスープがわかります。ここでは、高麗人参、陳皮、棗、黒キクラゲ、紅花、薏苡仁(ヨクイニン=ハトムギ)という漢方素材を使った料理が載せられています。

 漢方薬局が監修している本ですが、手に入れにくいような生薬などは使われず、身近な食材で作ることができるレシピ集で、漢方初心者の人におすすめの本でしょう。

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